浦和地方裁判所 昭和63年(行ウ)7号 判決 1990年6月18日
埼玉県和光市諏訪原団地二番一号一〇六
原告
武藤陽一
埼玉県朝霞市大字溝沼一八九〇-九
被告
浦和税務署長事務承継者
朝霞税務署長
岩村正和
右指定代理人
武田みどり
同
中澤勇七
同
酒井満男
同
三村明
同
新井宏
同
内川幸親
同
玉田真一
同
小林政美
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
浦和税務署長が原告の昭和六一年分所得税について昭和六二年五月一一日付けでした更正処分のうち納付すべき税額六万〇二〇〇円を超える部分を取り消す。
第二事案の概要
一 (争いのない事実)
原告の昭和六一年分の総所得金額は三一〇万二四八〇円であり、所得税法の定めるところに従つて算定すると、これに対する納付すべき税額は七万九二〇〇円である。ところが原告は、その確定申告において、右納付すべき税額から一万九〇〇〇円を減じた六万〇二〇〇円を納付すべき税額として申告した。原告がこのような申告をしたのは、国の歳出予算額中に占める軍事費の割合に照らすと、右納付すべき税額七万九二〇〇円のうち一万九〇〇〇円は軍事費の支出に充てられる部分に相当するのであり、この部分については原告は納税を拒否することができる(納税拒否権)という考え方に基づくものである。
これに対して、被告(事務承継前の浦和税務署長)は、原告主張の、いわゆる納税拒否権を認めず、右所得税について昭和六二年五月二〇日付けで総所得金額を三一〇万二四八〇円(申告額と同じ)、納付すべき税額を七万九二〇〇円とする更正処分した。
二 (争点)
原告がその主張の、いわゆる納税拒否権の根拠とするところは次のとおりである。
1 自衛隊は軍隊であり、戦力不保持を定めた憲法九条に違反する存在である。したがつて、国が自衛隊に関して費用を支出することも憲法に違反し許されない。
所得税は普通税であり、これによる歳入の一定割合は毎年自衛隊関係費として支出されている。してみると、所得税のうち右自衛隊関係費の支出に充てられる部分の賦課、徴収もまた違憲であるというべきである。
憲法三〇条は国民の納税の義務について規定しているが、この規定はまた、反面において、国民に対し国政に携わる国務大臣等の公務員が憲法九九条に従つて国民が納付した税金を正当な目的に使用しているかどうかを監視し、批判し、点検する権利を、いわゆる納税者基本権として保障しているものでもある。この権利は国民主権の支柱の一つをなすものであり、国民は、納付される税金が憲法違反の目的に使用される場合には、この権利の行使としてその分の納税を拒否することができるというべきである。
2 憲法はその前文において全世界の国民が平和のうちに生存する権利、すなわち、平和的生存権を有することを確認し、その明かしとして九条で戦争の放棄を規定したのである。この平和的生存権の中には、国民は軍事目的の税を課されることはないこと、もし、軍事目的の税が課された場合には、これに異議を唱え、その納入を拒否することができることがその権利の内容として含まれているというべきである。
3 原告はキリスト教徒の一人としてキリスト教非戦平和主義を信奉し、戦争世代の一人として戦争責任を深く自覚している者である。したがつて、軍事目的に充てられることの明かな税を納入することは良心的に耐え難いことであり、このような税の納入を国家権力によつて強制することは憲法一九条によつて保障された思想及び良心の自由を侵害することにほかならない。思想及び良心の自由は憲法が国民に保障した基本的人権の一つであり、これが侵害されるおそれがあるときは、国民はこれを侵害から守るために必要な抵抗をすることが許されるのであり、そのような抵抗権の一つとして軍事目的の費用に充てられることが明らかな税の納入を拒否することができるというべきである。以上の原告の主張に対する被告の反論は次のとおりである。
1 国民の納税義務は憲法三〇条及び八四条に基づき法律の定めるところに従つて発生するのであつて、国の歳入予算によつて決まるわけではない。所得税法においては、課税の対象となる所得金額に対する税額から控除すべき金額は、所得税法その他の租税法規の規定によることとされており、原告主張のような金額が納付すべき税額の計算上、控除の対象となる旨の規定はどの租税法規にも存しない。
のみならず、徴収された租税は個別具体的な特定の経費に充てられるものではなく、国費の支出は国会で議決された歳出予算に基づいてされるのであるから、憲法上、国民の納税義務と予算及び国費の支出とは、形式的にも実質的にも法的根拠を異にする全く別個のものであり、両者は直接的、具体的関連性を有しない。
2 国費の支出の内容についての当否の論議は、国民の代表機関である国会の審議の場で行われるべきであつて、個々の納税義務者が自ら国会の議決を経た予算に基づく国費の支出を違憲、違法と判断し、それを理由に納税義務を免れ、又は納税を拒否することは、憲法上の財政民主主義の原則及び租税法律主義の原則を無視するものであり、とうてい許されない。
3 憲法九九条は国務大臣等の公務員が憲法との関係で負担する原理的、道徳的義務を規定したものであつて、この規定から原告主張のような権利を導き出すことは不可能である。そのほか、憲法はもとより、どのような租税法規の中にも、納税義務者が国費の支出内容の違憲、違法を理由として納税を拒絶できることを定めた規定はなく、そのようなことが許されるいわれは全くない。
第三争点に対する判断
一 原告の主張は、原告の昭和六一年分の総所得金額に対する納付すべき税額(七万九二〇〇円)のうち一定割合の金額(一万九〇〇〇円)が自衛隊関係費として軍事目的の費用に充てられることを前提としたうえで成り立つている議論である。
しかしながら、憲法は、八三条、八五条及び八六条において、国費は、予算に基づいて支出されること、予算は毎会計年度ごとに内閣によつて作成され、国会の審議を受け議決を経て成立することを定める一方、三〇条及び八四条においては、国民は納税の義務を負うこと、租税の課税要件及び賦課、徴収手続は法律によつて定めることを規定している。このように憲法は予算に基づく国費の支出と国民に対する租税の賦課、徴収とはそれぞれ別個の手続として規定しているのであり、したがつて、仮に国費が憲法に違反する事柄について支出されることがあるとしても、そのことが租税の賦課、徴収手続の違憲、違法の原因となることはありえない。
もとより、租税収入は国家財政を支える重要な財源であつて、国の歳入歳出予算に編入されて(財政法一四条)国費の支出に充てられるものではあるが、所得税のようにそれによる歳入の使用目的を個別具体的に特定することなしに徴収される普通税による歳入は国の各般の需要を充たすための一般的財源となるにすぎない。したがつて、歳出予算額中の自衛隊関係費の占める割合をとらえて、納税義務者が所得税として納付すべき税額のうち右割合に相当する部分は自衛隊関係費に充てられるものであるというのは、右のような所得税による歳入の性質を無視した飛躍した議論であつて、採用することは困難である。
してみると、原告の主張は右のような独自の見解をその前提におくものであるから、すでにこの点において理由がないといわなければならない。
二 もつとも、所得税による歳入が国の一般的財源となり、各般の需要を充たすために用いられることからすると、観念的にはその一部が自衛隊関係費の支出に充てられると考える余地もないわけではない。しかしながら、国がどのような事柄について費用を支出すべきかは国民の代表機関である国会において、予算の審議を通じて行われるべきであつて、個々の国民が独自に、国会の議決を経て成立した歳出予算の一部に違憲の支出項目があると判断し、その支出に充てられると考えられる納税を拒絶するというようなことは、議会制民主主義を統治機構の根幹とし、租税法律主義を課税原則とする憲法の諸原理に照らして許されないことである。
三 そのほか、原告がその主張の、いわゆる納税拒否権の根拠として挙げるところはいずれも原告独自の見解であつて、採用の限りではなく、ほかに被告(事務承継前の浦和税務署長)がした前記更正処分を違憲、違法とするに足りる事由は見出せない。
(裁判長裁判官 大塚一郎 裁判官 小林敬子 裁判官 西郷雅彦)